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名古屋高等裁判所 昭和31年(ネ)501号 判決

控訴人 被告 安田生命保険相互会社

訴訟代理人 吉長正好 外一名

被控訴人 原告 時利毛織工場こと時田正一

訴訟代理人 三宅厚三

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、左記に附加するところの外、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

控訴代理人は、次のように述べた。

控訴人会社大阪中央支社は、控訴人会社の営業所たる支店ではなく、従つて、同支社長矢内一郎がなした本件約束手形の振出は、同支社の営業行為に属しないものであるから、これにつき、商法第四十二条を準用するのは失当である。控訴人会社は、保険契約の締結保険料の徴収並びに保険事故ある場合の保険金の支払をその基本的業務内容とするものであるが、控訴人会社大阪中央支社は、新規保険契約の募集と第一回保険料徴収の取次がその権限のすべてであるから、控訴人会社の独立の営業所たる実体を備えていない。生命保険相互会社は、保険業法により主務官庁たる大蔵省の厳重な監督に服しているのであつて、支社の職務内容、権限等についても、届出と認可を要することとなつているのであり、全国いずれの保険会社の支社も、保険業務につき独立の権限のない機構として、大蔵省に届出をなし、その認可を受けているものである(保険業法施行規則第十一条)。従つて、保険会社支社の無権限性は、単なる内部的な取極めではなく、本来的なものであつて、対外的にも明瞭となつているのである。なお、保険会社が用いている支社なる名称は、全保険会社と監督官庁たる大蔵省と協議の上、その使用を決定したものであつて、独り控訴人会社のみ、これを擅に用いているものではないから、控訴人会社の支社なる名称の使用をもつて、誇大宣伝的なものと非難するのは当らない。のみならず、控訴人会社は、保険会社たる特質上より、一般の商事会社と異つて、約束手形を振出す必要もその機会もなく、又事実約束手形を振出したことは、未だかつてないのである。このことは、ただ控訴人会社のみに限らず、すべての保険会社について一般なのである。従つて、控訴人会社大阪中央支社においては、勿論、一般商事会社の支店その他の営業所のように、物品を購入したり代金を支払う等の営業行為乃至これに附随的な行為もないのであるから、約束手形の振出は、同支社もしくは控訴人会社の営業に関する行為に属しないものであることが明白である。

仮に、控訴人会社大阪中央支社長矢内一郎がなした本件約束手形の振出につき、商法第四十二条の準用があるとしても、被控訴人は、右矢内一郎が本件手形振出につき無権限なることを知りながら、これを取得したものである。同支社長矢内一郎は、控訴人会社より、同支社名義をもつてする銀行取引や約束手形の振出を承認されていなかつたにかかわらず、勝手に訴外株式会社三菱銀行梅田支店と当座預金勘定の取引契約をなし、知人である訴外高井与五郎より、期日には間違いなく落し、迷惑をかけるようなことはしないからと依頼されて、同人宛に本件約束手形を振出したもののようであるが、同人は、矢内一郎が本件手形振出につき無権限なることを熟知していたのであり、そして、被控訴人は、同人より訴外吉川学(同吉川義一)を経て、本件約束手形を取得したものであるが、これを取得するに際し、控訴人会社につき、その振出権限を確認する手段を採ることもなく、又これが不渡となつても、控訴人会社もしくは右大阪中央支社につき、その不渡となつた事情を調査しようともしなかつたことよりすれば、被控訴人は、本件手形が控訴人会社に責任のないものであることを、その取得のときに既に知悉していたものとみる外ないのである。なお、右矢内一郎は、控訴人会社大阪中央支社名義をもつて、三菱銀行梅田支店との間に当座預金勘定契約を締結していること上述のとおりであるが、元来、銀行は、支店その他の従たる営業所と取引する場合、貸付等自己に損失の危険が生ずべき取引については、必ず本店の委任状の添附を求めて、慎重に契約するけれども、預金契約又は当座預金勘定契約のごとく、自己に損失の危険が生じない取引については、相手方の権限の有無につき、別段考慮することなく契約するのが実情であるから、右銀行が矢内一郎と当座預金勘定契約をしたからといつて、同銀行は、同人が控訴人会社を代理して右契約を締結し、約束手形等を振出す権限を有するものと信じていたとすることはできない。

被控訴代理人は、次のように述べた。

控訴人は、控訴人会社大阪中央支社は支店としての実体を備えていないから、同支社長矢内一郎は商法第四十二条にいわゆる支店の営業の主任者たることを示すべき名称を付した使用人に当らないと主張するが、ここで問題となるのは、同支社が商法上支店としての実体を備えているか否かではなく、一般取引の見解において、同支社が商法上の支店と同一もしくは類似の事務を管掌し、同支社長が支店長、即ち支店支配人もしくは主任者等と同一もしくは類似の職務権限を有するものと認められるか否かである。けだし、商法第四十二条の定める表見支配人の制度は、取引の安全保護のためにする商法の外観主義の発現に外ならないのであつて、その趣旨より考えると、同条の適用上において、支店その他の営業所が商法上厳密な意味における営業所に当るか否かは、重要ではなく、一般取引の見解において、問題の取引が通常その営業所の業務に属し、従つて、その営業所の営業の主任者の権限に属するものと認められるか否かが、判断の基礎とされなければならないからである。そして、支社なる名称は、もともと珍稀な名称ではなく、保険会社その他において、古くより常に使用されていることは、顕著な事実であつて、一般の世人は、その語感よりして、支店と同等、むしろそれ以上の営業内容を有する営業所であると考えるのが普通である。従つて、これがしばしば誇大宣伝用的に悪用されていることも多いわけである。ところで、控訴人会社は、わが国屈指の大保険会社であつて、厖大な組織と資産とを擁し、その営業活動は全国の隅々にまで及び、全国各地に支社を設置していることは、世上周知の事実である。控訴人会社大阪中央支社なる名称について考えるのに、一般世人は、それは通常の支社と異つてその上位に位置し、それより遥かに大なる範囲の事務を管掌しているものと考え、わが国の経済活動が、東京と大阪を二大中心として分れていることに対応して、控訴人会社の東京本社に対し、西日本における営業活動の中枢たる営業所と考えるか、少くとも、大阪市における中枢の営業所と考えるのが普通である。即ち、一般取引の見解において、控訴人会社大阪中央支社なるものは、控訴人会社の営業に関して、商法上の支店よりも広範囲の、少くとも、これと同一もしくは類似の事務を管掌しているものと考えられ、従つて、同支社長なるものは、商法上の支店長よりも広範囲の、少くとも、これと同一もしくは類似の職務権限を有するものと考えられるのである。訴外株式会社三菱銀行のような、経済上法律上の専門的知識を有し、且自ら調査機関を設けて、堅実と信用を誇る大金融機関においても、右と同様に、控訴人会社大阪支社長は、商法上の支店長と同等もしくはそれ以上の職務権限を有し、当然控訴人会社を代理して手形行為等をなす権限があるものと信じ同支社長矢内一郎との間に、当座預金勘定契約を締結している位であるから、まして、銀行より経済上法律上の知識に暗い一般世人が上述のように考えるのは、当然のことである。この場合、常に支社その他の営業所が支店としての実体を備えていることを調査した上これと取引しなければ、商法第四十二条の保護を受けえないとすることは、一般取引の実情に甚しく反するものというべきである。なお、控訴人は、右矢内一郎の本件約束手形の振出は控訴人会社もしくはその大阪中央支社の営業に関する行為ではないから、商法第四十二条の適用がないと主張するが、手形行為は、物品の購入や代金の支払等とは異なり、その性質上、常に営業に関して行われた行為と認めるべきものである。そうでなければ、いわゆる廻り手形を受取る者は、常に振出人につき、振出の原因関係を個々に調査しなければ、同条の保護を受けられない結果となつて、同条の趣旨を没却するのみならず、手形の本質にも反することになるからである。

次に、控訴人は、被控訴人は控訴人会社大阪中央支社長矢内一郎が本件約束手形振出につき無権限なることを知りながら、これを取得したものであると主張するが、被控訴人が当時善意であつたことは、証拠上明白であつて、殊に、被控訴人が訴外吉川学(同吉川義一)より、代金支払方法として本件手形の交付を受けた後においても、同人との取引を継続していた一事によつても、明らかなところである。被控訴人は、本件手形が不渡りとなつた後、すぐ控訴人に対し本件手形金の支払を請求しなかつたが、それは、商人間の取引においては、先ず取引の直接の相手方に請求するのが商人道徳とされ、商慣習となつていたので、これに従つたまでのことであつて、そのことをもつて、被控訴人の悪意を推認する資料となしえないことはいうまでもない。

当事者双方の証拠は、次のとおりである。

被控訴代理人は、甲第一号証及び第二号証の一乃至三を提出し、原審における証人佐野照夫の証言及び被控訴人本人尋問の結果(第一、二回)、並びに当審における被控訴人本人尋問の結果を援用し、乙号証につき、第一号証、第二号証及び第四号証の一、二の各成立を認め、第三号証の成立は不知と述べた。

控訴代理人は、乙第一号証乃至第三号証及び第四号証の一、二を提出し、原審における証人佐々木寛、同矢内一郎、同小山勝太、及び同林軍治の各証言及び被控訴人本人尋問の結果(第二回)、並びに当審における証人矢内一郎、同吉川義一及び同中村忠夫の各証言を援用し、甲号証につき、第一号証及び第二号証の一乃至三中、各印影の成立を認め、その余の部分の各成立を否認した。

理由

印影の成立に争がなく成立の真正を推認しうる甲第一号証、原審及び当審における証人矢内一郎の証言並びに被控訴人本人の供述によると、控訴人会社大阪中央支社長矢内一郎は、昭和二十八年十一月三十日、同支社長矢内敬祐名義をもつて、訴外高井与五郎宛に、額面金百万円、支払期日昭和二十九年二月二十八日、支払地及び振出地ともに大阪市、支払場所株式会社梅田支店なる約束手形一通を振出したこと、そして、右高井与五郎は訴外吉川義一に、同人は被控訴人に、それぞれ右手形を白地裏書により順次譲渡し、被控訴人は、昭和二十九年二月三日訴外株式会社東海銀行に右手形の取立委任をなし、同銀行は、該手形の白地の被裏書人欄を補充の上、満期の翌日たる同年三月一日支払場所に右手形を呈示して支払を求めたが、その支払を拒絶されたことを認めることができ(右認定を動かすべき証拠はない)、そして、被控訴人が現に右手形の所持人であることは、当事者間に争ないところである。

そこで、右約束手形につき、控訴人会社がその支払の責任を負うべきか否かについて考えるに、被控訴人は、控訴人会社は右矢内一郎に対し、控訴人会社に代つて手形を振出す権限を附与していたものであると主張するが、そのような事実を認めるべき何等の証拠もない。ただ、印影の成立に争がなく各成立の真正を認めうる甲第二号証の一乃至三、並びに原審における証人佐野照夫及び同矢内一郎の各証言によれば、控訴人会社大阪中央支社は、昭和二十八年十一月二十八日同支社長矢内敬祐名義をもつて、訴外株式会社三菱銀行梅田支店との間に、当座預金勘定の取引契約をなし(昭和二十九年一月七日解約)、その間手形や小切手を振出していたことを認めうるが、右は、同支社長矢内一郎が個人的目的のため、控訴人会社の承認をえることなく、壇に同支社長名義を冒用してなしたものであることは、右証人矢内一郎の証言により明らかであるから、これをもつて、控訴人会社が同人に対し手形振出の権限を附与していたことの証左となすことはできない。

次に、被控訴人は、仮に右矢内一郎が手形振出の権限を有しなかつたとしても、同人は、控訴人会社大阪中央支社長であつたのであるから、同支社支配人と同一の権限を有するものと看做され、本件手形は、同人が同支社長名義をもつて振出したものであるから、控訴人会社は、商法第四十二条により、本件手形につきその責を負うべきものであると主張するので、以下この点につき考えてみる。

控訴人会社が、訴外矢内一郎を昭和二十七年四月から昭和二十九年一月まで控訴人会社大阪中央支社長に任命していたことは、当事者間に争がなく、そして、支社なる名称は、その語感からして、支店と甚だ類似しているので、一般世人は、支社を支店と同一又は類似の業務を取扱うものと考え、従つて、支社長を支店長(即ち支店支配人)と同一又は類似の職務権限を有するものと考えるであろうことは、容易に推測しうるところである。しかしながら、保険業法第四十二条の準用する商法第四十二条は、本店又は支店の支配人が法律上当然に営業主の代理人たる地位を有することに対応して、営業主が使用人に本店又は支店の営業の主任者たることを示すべき名称を附した場合には、その者が一見支配人と同様に、営業所における一切の取引につき代理権限を有するものと考えられ易いから、たとえその者が現実に右のごとき権限を有しなくても、これを支配人と同一の権限を有するものと看做し、もつて、取引の相手方を保護し、取引の動的安全を図ろうとした趣旨の規定であることはいうまでもないが、同条は、その立言の形式及び法意から考えて明かなように、本店又は支店等独立の営業所の使用人に、営業の主任者たることを示すべき名称を附した場合に適用されるのであつて、独立の営業所と見ることのできない事業所(その名称は如何ともあれ)の使用人に、右のごとき名称を附した場合にまで、その適用があるとは解し得ない。けだし、商法がいかに外観主義の法理に立脚するものとはいいながら、右に述べたところ以上に同条の適用範囲を拡張し、一般に独立の営業所の看做しえない事業所の使用人についてまで、右のような効果を認め、これと取引関係に立つた相手方を保護すべき理由も必要もないからである。ところで、原審証人佐々木寛、同小山勝太、同林軍治並びに前掲証人矢内一郎の各証言によると、控訴人会社は、保険契約の締結、保険料の徴収並びに保険事故ある場合の保険金の支払をその基本的業務内容とするものであるが、控訴人会社大阪中央支社は、新規保険契約の募集と第一回保険料徴収の取次がその権限のすべてであつて、控訴人会社の基本的営業行為たる保険業務を独立してなす権限を有しないものであることを認めることができ、右認定を左右にすべき証拠はない。そうとすれば、同支社(その名称が支店と類似し、世人の誤解を招くおそれのあることは否定できないが)は、控訴人会社の本店と離れて、一定の範囲において対外的に独自の営業活動をなすべき組織を有する営業所たる実体を備えないものであることが明白であるから、商法第四十二条にいう支店には該当しないし、又同支社長矢内一郎も、同条にいわゆる支店の営業の主任者には該当しないと解しなければならない。従つて、同人のなした本件約束手形の振出については、商法第四十二条の準用がないものとしなければならないから、被控訴人の同条の準用を前提とする前記主張は、その理由がなく、とうてい採用するに由ない。

右のようなわけで、被控訴人に対し、本件約束手形の振出人として、右手形金百万円の支払を求める被控訴人の本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく失当であるから、これを棄却すべきである。

よつて、右と見解を異にし、被控訴人の請求を認容した原判決は相当でないから、これを取消すべきものとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九十六条、第八十九条を適用して、主文のように判決する。

(裁判長裁判官 浜田従六 裁判官 山口正夫 裁判官 吉田誠吾)

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